ブログ「訓讀しながら韓國語學習」より

実際に、日本から韓国に行ってブログで近況報告をしている人も増えてきました。


また、先日は私たちのブログを見て「皆さんのブログを見て感動しました。これからも一緒に頑張りましょう」と励ましのメールを送ってくださった先輩もいらっしゃいます。


ブログの中で、先輩食口が教会の研修会の感動的な感想を書かれていますので、ご紹介します。


「イエスの十字架」に関する記述です。

http://blog.daum.net/goengjeon/76
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私がこの道に導かれてまもなく、日本で2days(1泊2日の修練会)に参加したとき最も感動を受けた講義は『イエスの生涯』でした。講義中に一種の聖霊体験のように嗚咽をしながら涙が止まりませんでした。自分でもびっくりしました。


エス様がこの世の人々を救いに来たのにもかかわらず、ほとんどの人がイエス様を信じることができず度重なる不信をし、しまいには救おうとした人々の願いによってゴルゴダの丘で十字架によって死刑を受けることになりました。その場面で神様の心情を表現するかのように急にゴルゴダの丘の空が真っ暗になり激しく雨が降り出しました。神様の最愛の1人子をメシヤ(救世主)としてこの世に遣わしたのに、神様の願いに反してユダヤ民族の不信によって、イエス様を見殺しにするしかなかった神様の気持ちを考えたとき、涙があふれ止まりませんでした。イエス様の十字架は神様の予定だったのではなく、人間が責任分担を全うできなかったために引き起こされた事件であったということを再臨の主が解き明かしました。


この十字架によるイエス様の死は神様の予定だったのか、神様の願いではなかったのかということを多くのキリスト教の方々は今一度神様の立場になって考えるべきであります。聖書は人間が責任分担を果たしたときと果たさなかったときの両面性の預言が書かれています。


実際神様の願いでなく十字架で無念で亡くなられたイエス様を、神様の予定として使命を果たして十字架でなくなったと誤解して信じる信徒たちに対して、霊界におられるイエス様がどれ程切ない思いで見ておられるのかということをはっきりと知るべき時が来ました。


我々より先に神様に導かれ数千年の間神様のみ旨のために苦労されてこられたキリスト教の方々こそ、神様が真っ先に再臨のメシヤの前に準備された方々でした。すでに再臨の主が来られ、高齢でありながら今もなおみ旨のために苦労されているという事実とイエス様の十字架に対する真実とアダムとエバが堕落して以来人類を救うために苦労され続けて来られた神様の心情をはっきりと知って、遅ればせながらでも来られた再臨の主に侍り神様の摂理のために共に協力しながら歩みたいと願うものであります。


(訓読しながら韓国語学習9.27)
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実際に、この十字架の解釈ゆえに戸惑い、「キリスト教の異端である」と統一教会を糾弾し、自分たちの主張を貫こうという牧師の方もいて、その一部の過激な人たちが強制改宗に走るのだと思います。


ただ、クリスチャンでもない父母の皆さんにとって、そのような教義論争は、子供を拉致するのに値することなのでしょうか。牧師の方々には教義論争と拉致監禁をごちゃまぜにしないでほしいです。