なぜ私がお前を愛したのか
さて、そんな神観が垣間見れる証があります。
統一教会員の女性が、周りの人の悪い部分が分かり非常に苦しくなり、そして他人が自分のことを悪く言っているのを聞いて落ち込んでしまう。
そして何より自分自身の罪に気づいて悩み苦しみます。
このような私の姿を周りの人が知ったら、どう思うか。
悩みの極致にある時に文先生と初めて実体で出会い、そのことがきっかけで神様からの啓示を受けるのです。
以下がその啓示の記録です。
なぜ私がおまえを愛したか
それはお前が私の真実の子だからである。
今までお前は自らの内にある罪のために、
汚れのために悩んで来たね。
そしてそういう自分を責めさいなんで来たね。
けれども、そういうお前を、
この私が一度でも責めたと思うのか、非難したと思うのか。
また、そういうお前から、
醜いといって顔をそむけたことがあるとでも思うのか。
そういうことの故に、
お前が悲しむ前に、私自身が涙を流したんだよ。
数々の罪をもって生まれて来なければならなかった憐れな立場、
そういう立場に立たせなければならなかったお前の故に、
お前が悩む前から、私自身が悩んだのだ。
私がお前に与えた生命の故に、
私はお前を愛したのだ。
お前は私の子なのだ。
この文章には私自身も信仰初期にかなり影響を受けました。
神様が私を子として見つめて下さっている。
私は生きていてもいい存在なんだ、と。